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『名越左源太と島の三大旅行家』

 

 

資料名 名越左源太書

                                形状  軸
 

名越左源太時敏(なごや さげんた)

文政2(1819)年~明治14(1881)年。鹿児島城下,下竜尾町生まれ,当時物頭の職にあった左源太は,嘉永2(1849)年お由羅騒動に連座して,嘉永3(1850)年大島遠島の刑に処せられ,名瀬間切,名瀬方,小宿村に安政2(1855)年までの五カ年間を住民と生活を送った人である。名越家は代々薩摩藩の要職にあり,左源太も教養深い人であった。長い間にわたる島生活を見聞して絵や文に記録し,天文,地理,動植物,住民の年中行事,衣食住,言語,冠婚葬祭,産業,行政に至り,詳細に藩政時代の奄美大島が記録されている。この精確な記述が『南島雑話』・『遠島録』として残され,こんにち南島研究において柱となっている。

出典:『鹿児島大百科事典』

 

 

 

 


 

 

資料名 南島方面巡視絵巻

                               形状  巻物
 

七島問答(しちとうもんどう):『七島問答』は明治17(1884)年3月頃,当時の渡辺千秋県令の命を受け,白野夏雲(当時県勧業課吏員)が島々を踏査したときの記録である。鹿児島の南に点在する七島(口之島・中之島・臥蛇島・諏訪之瀬島・悪石島・宝島)を,約40日間にわたって巡視し,島ごとの地形・港湾・村浦・道路・神社・履歴・風俗・遺跡・地名・地質・山林・原野・物産等について,問答式に記述されている。見聞録の中には,当時の南島航路図,島ごとの船着見取絵図が著者の手によって緻密に描かれており,問答式の記述とあわせて興味深い。原本は県立図書館に所蔵されている。

出典:『鹿児島大百科事典』

 

 
 

 

 

 


 

 

資料名 御領内薩隅日琉球島々踏程全図

                            形状  巻物