お知らせ

『見事(みごっ)探元!木村探元 ~狩野派の伝統に雪舟の水墨画を盛る~』

 

 

 

資料名 天神御影 大弐法橋探元
形状 軸
 

説  明:  
天神像もまた勧善懲戒的な意味合いを持つ画題としてよく描かれた。陰影を施した衣の表現は「自画像」(市立美術館藏)に通じるものがある。謹直な表現であるが,「聖賢図巻」(同)と比べると衣文線には作画活動の後期の作品に散見されるくせのある描線が見られる。
出典:『木村探元展-近世薩摩画壇の隆盛』鹿児島市立美術館,昭和62年

 

解  題:
木村探元,延宝7(1679)年~明和4(1767)年。江戸時代薩摩の画家。
名は守広,のち時経,通称村右衛門,静隠,三暁庵,浄徳堂法浄など多数の画号があり,近衛家より大貳の称号を賜り大貳法橋(だいにほっきょう)とも称した。現在の鹿児島市千石馬場近くに生まれる。薩摩において小浜常慶に画を学んだ後,元禄16(1703)年狩野探幽の画を慕い江戸に赴くが,探幽はすでに没していたので探幽の子探信守政に弟子入りした。数年を経て帰郷,若くして鶴丸城内に襖絵を描くなど,その画才は非常に優れ,彼の絵を評して「見事探元」という言葉が生まれた。さらに京都の近衛家において絵画を制作するなど彼の活躍の場は,薩摩に限られるものではなかった。彼の絵画は,狩野派の伝統的な流れの中に雪舟,秋月などの水墨画の気分を盛り込んだもので,全体的に質実剛健の気風を持ち,「富士山図」「富嶽雲烟図」はそのような画風を伝えた代表作であろう。彼の描く絵画は山水図にとどまらず,花鳥画,人物画と多岐にわたり,今日探元筆を示す落款の入った作品が非常に多い。また,探元には能勢探竜,押川元春など優れた門人が多く,彼を中心とする画派が江戸時代の薩摩画壇を代表するものとなった。画集としては,大正15(1926)年刊行『探元画集』があり,探元に関する書物には,探元が語る話を友人が記述した『三暁庵談話』『白鷺州』や自ら記した『木村探元上京日記』等がある。彼の墓は,鹿児島市小野町高架木にある。
出典:『鹿児島大百科事典』

 

 

 

 


 

 

資料名 押川元春筆
形状 軸
 

説  明:
「寿老人」
押川元春(生没年不詳)は,江戸時代に薩摩画壇を代表する木村探元〔延宝7(1679)年~明和4(1767)年〕の弟子で,探元に随い京都の近衛家に滞在し画業を学んだ。享保13(1728)年に島津継豊の側室に男子(後の宗信)が生まれ,芝の島津藩邸の奥室を改造した建物の屋上を鶴が飛来したのでめでたいということでの鶴を元春にかかせたことがある。
出典:『西藩野史』

 

 

 

 


 

 

資料名 能勢一清筆
形状 軸
 

 

 

 

資料名 能勢一清筆
形状 軸
 

能勢一清(1790年~1854年)
木村探元の高弟,能勢探竜の曽孫にあたる。寛政2年11月23日に生まれた。名は泰央,通称は武右衛門,小字は十郎宇。画号に,浄川軒一清,烹雪庵,静徳,懐徳庵,心斎などがある。初めは黙観と号し,十五歳まで西田の人,森某の門人となった。森某とは一説によると,探元の弟子,森探瑞の弟,森玄心であったといわれている。玄心は探元の弟子であった可能性があり,そうなると一清は探元の孫弟子ということになる。
(略)
弘化,嘉永のころの薩摩の画人で一清の右にでるものはいないとまでいわれた。一清は,探元の系譜に連なる絵師であったことは確かである。一清は雪舟や探幽をよく学んでいる。その姿勢は,探元の作品から学んだものといえよう。そして,探元が雪舟と探幽の様式を止揚して独自の画風を樹立した様に一清にも優れた作例がある。「草蘆三顧之図」は蜀の劉備が諸葛亮を軍師として招くのに三顧の礼を尽くしたという故事を描いたもので,緊張感が伝わってくる作品となっている。
(略)
『薩藩画人伝備考』には一清がかって伊集院の広済寺のもとめにより十六羅漢図を描き,弘化4(1847)年4月11日の明け方,曾祖父探竜を夢に見てその肖像を写し,子孫に残したものがあったと記されているが,これらは現在確認されていない。同書にはまた,嘉永6(1853)年春,日置郡郡山町の花尾神社改築に際し,藩主斉彬の命によって,一清が殿内格天井に花卉の絵があしらわれた格天井がある。絵は彩色による精密な写生描写であるが,絵具の落剥も目立つ。同神社社務所によると天井の裏面には絵師等の記載はなく,他にこれに関する資料も伝えられていないとのことである。井上良吉氏がどのような資料をもとにしてこのように記したのかは不明である。現存の天井絵が一清筆といえるかは,今後更に詳しい調査を必要とするだろう。能勢一清は安政4年8月27日,65歳で没した。法名は浄川院心斎一清居士。大徳寺に葬られた。なお,能勢一清には,実子の内山一観をはじめ,八木松濤軒,下河辺行廉,中原南渓,床次正精といった弟子がいる。

出典:『かごしま文庫43 薩摩の絵師たち』春苑堂,平成3年