『史料に見る鶴丸城』

資料名 薩藩御城下絵図(鹿児島)
形状

 

これは,寛文10(1670)年ごろの鹿児島城下の絵図で,城下の様子をあらわした最も古い絵図であるといわれています。
絵図からは当時の城下の様子とともに,鶴丸城の様子をも概観することができます。城の辺りを見ると,現在,県歴史資料センター黎明館のあるところには「大隅守殿居宅」(大隅守は島津家19代光久。),県立図書館や市立美術館などがあるところには「薩摩守殿居宅」(薩摩守は光久の子の綱久。)と記載されており,そこには堀や橋,石垣,門などが描かれています。
また,絵図には城山のところに「鹿児島城」と記されており,そこには「番所」や「武道具屋」などとともに,「此門出入ナシ」と記された門などが描かれています。さらに,城山への登り口として,「大手ノ門」や「屋敷内よりの道」,「城番之者通道」なども記されています。
出典:『鹿児島歴史探訪』

 

 

 

 


 

資料名 三国名勝図会
形状 和書

 

この史料は天保14(1843)年,島津家27代斉興のころ,五代秀尭(五代友厚の父。御記録奉行などを歴任。)を総裁として,橋口兼柄(御記録奉行や町奉行などを歴任。)らが斉興の命を受けて編纂したもの(全60巻)をもとに,明治38(1905)年に和とじの20冊として刊行されたものです。史料には,薩摩藩領である薩摩・大隅・日向(一部)三国の自然や寺社,物産などについて記されており,薩摩藩について調査・研究するための貴重な史料ともなっています。
この「三国名勝図会」の巻之一には「鹿児島ノ城」と題されて,鶴丸山(現在の城山)という名の由来や城山にあった上山城のこと,鶴丸城の築城にかかること,鹿児島に城を構えることの利点などについても記されており,鶴丸城のことについていろいろ知ることができます。

また,史料中の「鹿児島ノ城鹿児島坂本村にあり、即府治なり、山に據て城とす、其山は鶴丸山といふ、此山の形、舞鶴に似たり、故に名を得たりとぞ、・・・」との記述から,現在の城山が「鶴丸山」と呼ばれたいわれが分かります。

出典:『鹿児島大百科事典』

 

 

 

 


 

資料名 島津御本丸前面景
形状 写真

 

この写真は,「島津御本丸御書院景」や「島津御本丸池畔景」,「島津御本丸庭園景」などの写真とともに,大正12(1923)年に購求したと,当館の図書原簿に記されています。

これらの写真は,明治5(1872)年に明治天皇が鹿児島や長崎,熊本など西国を行幸された際に,天皇に同行した写真家が撮影した写真を複製したものではないかと考えられています。
明治6(1873)年に本丸が焼失し,明治10(1877)年に二之丸が焼失していることから,この写真は,焼失前の鶴丸城の姿をうかがうことのできる貴重な写真です。
写真からは,御楼門や御楼門前の石橋など,本丸の門前の様子などをうかがうことができます。

出典 :『南日本新聞』平成7(1995)年10月15日付け,『目で見る鹿児島市の100年』郷土出版社,『 黎明館特別展薩摩七十七万石-鹿児島城と外城-』

 

 

 

 


 

資料名 島津御本丸池畔景
形状 写真

 

「島津御本丸池畔景」と題されたこの写真は,二之丸側を背にして池畔を手前に撮影されたものです。
成尾常矩が作成した「鶴丸城内殿舎配置図」で確認すると,「御池」の向こうに写っている建物は「麒麟之間」や「鷺之間」などの部屋がある建物であることが分かります。
写真の手前に橋が写っていますが,一説には,この橋は,現在,鹿児島県歴史資料センター黎明館裏の池にかけられている「九皐橋」ではないかといわれています。「九皐橋」はもともと本丸の東南隅にあったと考えられています。

出典 :『南日本新聞』平成7(1995)年10月15日付け,『目で見る鹿児島市の100年』郷土出版社,『 黎明館特別展薩摩七十七万石-鹿児島城と外城-』,『城山-自然と歴史が紡ぐ鹿児島のこころ-』読売新聞西部本社

 

 

 

 


 

資料名 島津御本丸庭園景
形状 写真

「島津御本丸庭園景」と題されたこの写真は,「島津御本丸池畔景」の写真にも写っている御池や庭園を,建物のある方から写したものであると思われます。
この庭園のつくり等については,当館所蔵の図書「薩藩庭園調査覚書」(永見健一著 昭和3(1928)年)の26~27ページに「一山下御殿の庭」(本丸庭園のことか。)として,次のように記載されています。

(抜粋)
一山下御殿の庭
・・・然し、其実況写真が数枚今残存して居り、例へば県立図書館其他で見る事の出来るのは不幸中の事である。
そして,其写真と古老の話しとを総合すると大体此の庭は次の様なものであった事が想像出来る。
(一)池。岩組で築いた池畔。玉里上庭に見るのと全く同型の亀の姿体を象る石を池中に浮べる石の一板反橋

(二)対庭の家屋主体の片隅から磯岩組を組み出し池に進み入れる。それに添ふて水を落し流す
(三)背景に稍厚い植込。中景及前景に若干の配植。等等 やや
(四)・・・

出典 :『南日本新聞』平成7(1995)年10月15日付け,『目で見る鹿児島市の100年』郷土出版社,『 黎明館特別展薩摩七十七万石-鹿児島城と外城-』,『城山-自然と歴史が紡ぐ鹿児島のこころ-』読売新聞西部本社,『薩藩庭園調査覚書』

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